雪明りの路ってなんで始まったの?

今や小樽の冬の一大イベントと化した雪明りの路、運河や手宮などの会場で開かれ出店も大がかりとなりすっかり観光イベントとして、あちこちの国から人々がやってきて自撮りしたり、ロウソクの明かりのほか、イルミネーションなど夜の小樽の街の景色を楽しんでいる。今年は、手宮線跡地の線路公園も会場に一部復活した。どのような経緯でこのイベントが始まり、こうして続いているのか皆さんはご存じだろうか?

今回は、雪明りの路の始まりを話していこうと思う。

小樽運河保存運動を活動していた者にとって、半分の保存は全敗ととらえるほどの敗北感を与え、10年くらい何のやる気も起きない空虚な時間を過ごしていたそうだ。

小樽のシンボルは小樽運河、そして北海道鉄道の起源である旧国鉄手宮線に価値がある。

小樽にとってかけがえのない財産である小樽運河と旧手宮線、次は手宮線を復活させることではないかという気合が始まりだった。

北大3人組石塚、森下、柳田の3氏は、手宮線復活のためには、まず人目を集めること、メインは手宮線、運河、次いで町内会、各家庭が参加できる企画とその思いを伝え、民間と市合同の実行委員会が発足し、実行委員会会長にかま栄前社長、事務長に山口保氏が就任し、企画を考案していった。

小樽の文化として残るようなものを作る、この街でしかできないお祭り。小樽には北海道唯一のロウソクメーカー、日本で唯一の浮き球を造るメーカーがあることに着目、何より大切なことはまつりを手間暇かけて苦労して運営しているところも人々に見ていただく、動の札幌雪祭り、静の雪明りの路として1年に1回静かに物思いにふける「癒し」の場を提供し、市民一人一人がまつりに関わり、町内会、家の前、ボランティア交流(中国や韓国)、観光客も参加できるまつりが始まった。

家庭でも家先でちょこっと雪に穴を掘り、ほっこりと灯るロウソクの明かりは、なぜか心に深く沁みて、しみじみした気持ちになる。

最初にこのまつりを始めた人たちが今の手宮線を保存するきっかけとなり、私たちは今年も家の前に明かりを灯し、それぞれの思いで灯りをみつめる。

これからは、まつりの形も時代とともに変化していくだろうが、ロウソクの明かりを見つめる目は変わらない。

皆さんもこの時期、ロウソクの明かりを灯し、ゆったりと静かな時間を過ごしてみませんか?