~小樽のモンブラン編~

初めて頼んだのだろう。出てきたケーキに「栗じゃないんですか?」と店員に尋ねている。
「小樽のモンブランはこれです。いかがいなさいますか?」と返す会話はよく耳にする光景だ。

小樽でモンブランが生まれたのは昭和3年といわれている。洋菓子の修行に佐賀から東京の洋菓子店不二家へ修行に出た米華堂初代八木清が外国人のパティシエの下で技術を磨き、自分のお店を持つため小樽へ渡り、店の看板として編み出したのがこのモンブラン。

ココアスポンジに生クリームをサンドして、表面を生クリームで包み、削りチョコで岩肌をあしらい、三角の形に仕上げる。モンブランの別名は「白い山」。

一般に知られているモンブランは栗のペーストをモンブラン絞りの押し型で上から絞っていくケーキ、どちらも昭和の初めに生まれたケーキだ。

八木清はこのケーキを看板として持ち込もうとしたが、小樽で良質の洋菓子に使う栗が手に入らなかった。北海道で初めて洋菓子店としてオープンさせるには、東京不二家洋菓子販売兼パーラーの形式だけではインパクトがない、看板として悩んだ末の考案だと代々伝えられている。

小樽で洋菓子がポピュラーになったのは、戦後である。あまとう、館、松月堂、花月堂にもモンブランが並ぶようになった。地元ならではのケーキとして浸透し、親しまれている。

余談であるが、小樽の地元でケーキ屋を開いた店やその店で修業したケーキ屋にはこの地元モンブランが並んでいる。花月堂と松月堂、あまとうと館とパールマリーブ、米華堂と岸洋菓子店などがそれぞれ子弟、親族関係となっており、独立するときに引き継がれたのだろう。

米華堂は2021年4月1日昭和3年から続いた93年の歴史に幕を下ろした。
「小樽の街に根付いた洋菓子の文化とこのモンブランはこれからも小樽の街に残っていく。継承されていくものをこの街に残せたこと、これからも洋菓子文化が続いていくことを願っている」と3代目八木浩司の言葉。

三角の山の形のモンブランはもうないけれど、ココアスポンジに生クリームに削りチョコの味はこの街にしっかり残っている。北海道が開拓されて150年余り、小樽に根付いた洋菓子の歴史は94年、歴史的建造物だけでなく無形文化も私たちに受け継がれていくだろう。