どうして小樽は神社が多いの?

街を散策しているとあちこちに神社があり、路地裏や通りの奥にも小さな神社や祠が目に入る。どうしてこんなにあるのかなあ? そんな疑問を小樽博物館学芸員の菅原慶郎さんに聞いてみることに。最初はちょっとドキドキしながら電話をしてみたが、快く引き受けてくれた。

小樽は江戸時代、鰊漁で出稼ぎに来ていた人たちが鰊漁のない時は禰󠄀宜として神社、宗教の普及活動をしていた。弁天と蝶鮫を祀っている神社もある。また、土着民であるアイヌの人たちが作った幣を和人の船につけていた人たちや、アイヌの神様と和人が運んできた神様を融合してできた神社もあり、アイヌとの関わりも興味の引くところだ。この頃できた神社の中に住吉神社、水天宮神社がある。

龍宮神社が作られた明治時代となり、北海道開拓の入り口となった小樽は、人と物資、日用品などが港から陸揚げされ、それにより産業も発達していった。当時小樽と呼ばれている地区は小樽築港から手宮までで、山が多く坂の多い地形のため集落で家を建てられる土地が狭かったが、それぞれの都道府県(東北、北陸が多い)から入植してきた人々が住み着き、故郷の村や町で祀っている神様も一緒に持ってきたことが、神社の多い理由の一つ。

祠については伝えてきた人たちが途絶え、今は何の神様を祀っているのかわからないものもあるのだそうだ。お寺が入ってきたのは幕末で、神仏混合となっているところもある。お稲荷様には色々な伝えがあるので、どれが正しいかとは言えないそうだが、商売だけでなく稲が成るという考えもあり、あちらこちらに祀られる身近な神様の一つ。

昭和15年には高島、朝里、銭函、張碓、熊碓が、昭和33年塩谷、桃内、忍路、蘭島が小樽市となり、現在の大きさとなった。

小樽の街にあるそれぞれの神社には、海の航海や豊漁を祈る神様、狭い土地で食物を作るのも大変だった人々が五穀豊穣を祈る神様、商売繁盛、この小樽を護る神様が祀られ、多くの入植者たちの祈りが信仰の要因になっているのかもしれない。

そんなことを思いながら散策していると、裏路地にお稲荷様が…ここにも住んでいる人たちを見守っている神様が一つ。神社にお参りするときは、住所と名前と今こんなことをしていて、こんな風にうまくいっていておかげさまで元気で生活しておりますみたいな報告をして、今度はこんなこと頑張りますという誓いを立てると願いが叶えられるという話を聞いたことがある。実は私も試している。神社でお参りするとき皆さんも試してみてはいかが?