どうして小樽にお餅屋さんが多いのかな?
小樽を散策していると、お餅屋さんの看板をよく見かける。ちょっと小腹がすいたとき、お節句によって鶯餅、桜餅、柏餅、べこ餅などを実家や知り合いのお宅を訪ねるときに手上産にと気軽に利用する機会も多いのが餅。神社や仏閣の近くにお餅屋さんも並列して並んでいるので、奉納餅として小樽に定着したものと思っている方々も多いのではないだろうか?
そんな疑問を私の知恵袋、小樽市博物館文芸員の菅原慶郎さんに尋ねてみた。
「そう思っている方多いですよね」屈託のない笑顔でそう答えた後、「違うんですよ」と微笑んだ。小樽の産業を支えた労働者は、全国各地から出稼ぎや日雇いで日銭を稼ぎにこの街へやってきた話は、前回の神社の話でも触れたと思うが、この街の産業を支えるための担い手として璽要な人たちであった。その人たちの糖分補給として労働者に受け人れられたこと。また、小樽には小豆相場や米相場など、あらゆる物資が港を通して入ってきたこともあり、商売として餅屋は始めやすい仕事の一つであったとのこと。
うちの祖母の実家は昔小樽で馬車屋を営んでいた。その労働者のお昼には餅や雑煮をふるまうことが多かったせいか、臼と杵で餅を何升もつき、年末になると段ボールに2箱、切り餅、あんころ餅、草餅、豆餅などがぎっしり詰めて送られてきて、冬休みの私たち兄弟の朝、昼のお腹を満たしてくれ、この餅がなくなる頃、冬休みの終わりがやってきた。家庭の中に冬の風物詩としてしっかり根付いていたが、年を取るにつけ、臼と杵が自動餅つき機に代わり、季節に関係なく食べたいときに大福や草餅などを買って手軽に食べるようになっている。
話はそれるが「お餅代」という言葉を皆さん知っているだろうか?
江戸時代、商屋や職人の主人から番頭、手代の年末のボーナスとして渡された包み金のことである。うちのばあちゃんは年末に挨拶に来る人たちにポチ袋を用意し、お餅代の足しにしてと渡していたのを子供心に覚えている。夫に聞くと「年末の賞与にお餅代っていう名目があった気がする」と言っていた。これで餅でも用意して家族でお正月を迎えてください。という心遣いだったのだろう。
お餅はそれほど私たちにとってなくてはならない楽しみの一つであった。最近、昔から続いている餅屋さんが減ってきている。後継者問題もあるのはもちろんだが、コンビニやスーパーで手軽に手に入るものとなったことも要因だろう。
大福一つでも買いに行くお店によって、塩の塩梅や餡子が粒であったり漉しであったり、餅に混ぜ込まれたのがくるみだったり、ゴマだったり、黒豆だったり、よもぎだったり個性がある。各店の個性を堪能するのも小樽ならでは。
書いているうちに食べたくなったのであの餅屋へいってみようかな?どれにしようかな、やっぱり草餅かな~黒豆も捨てがたい、家族の分も買わなくっちゃね。